子供との議論に必ず勝ち、納得させるただ1つの方法

あなたは子供と議論になったとき
必ず議論に勝利し子供を納得させる方法を
知りたくはありませんか?

今日私がお教えすることを
マスターすることができれば

あなたは子供と議論になりそうになった時
子供と醜い言い争いをすることなく

子供が素直に言うことを聞いてくれるような
会話術を手に入れることができます。

逆に今日お話しすることを
あなたが理解していなかったとしたら

あなたがどれだけ正論を述べても
子供の心には届くことなく

むしろ子供はあなたに対して不満を覚え
文句を言うようになるでしょう。

この記事の目次

そもそも議論をするとどうなるか

あなたにまず前提として
知っておいて欲しいことが1つあります。

それは
『そもそも議論をするとどうなるか』
ということです。

例をあげましょう。

これは、僕の敬愛する
D・カーネギーがまだ
議論好きだったころの話です。

当時カーネギーは
スミスさんという第一次世界大戦の直後に
30日間で世界半周飛行の偉業をなしとげた
男のマネージャーをしていました。

その後スミスは国から5万ドルの賞金を
貰ったそうです。

ことは、カーネギーが彼のパーティーに
参加しているときに起こりました。

皆がテーブルに着いたとき
カーネギーの隣にいた男が

『人間が荒けずりをし、
神様が仕上げをしてくださる』
という言葉に関係のある
面白い話をし始めました。

その男はその言葉を
『聖書にある文句だ』
と言いました。

しかし、それは間違いです。
カーネギーはその出典を良く知っていたので
男に言いました。

『それはシェイクスピアの言葉だよ』

その男は

『ああ、そうだったのか
ありがとうカーネギーさん』
などと言ったと思いますか?

いいえ違います。
その男はそれは大変な剣幕で

『何?シェイクスピアの文句?
そんなはずはない!馬鹿馬鹿しい!
聖書の言葉だよ!これだけは間違いない!』
と言ったそうです。

その男の逆隣にはカーネギーの昔からの友人で
シェイクスピアの研究を長年続けてきた友人
フランク・ガモンドが座っていたので
カーネギーはガモンドに意見を求めました。

ガモンドは双方の言い分を聞いていましたが、
テーブルの下でカーネギーの足を
そっと蹴って言いました。

『デール、君の方が間違っているよ。
あちらの方が正しい。確かに聖書からだ。』

その晩パーティーからの帰り道で
カーネギーは言いました。

『フランク、あれはシェイクスピアからだよ。
君だってよく知ってるはずじゃないか』

フランクは答えました。

『もちろんそうさ。”ハムレット”
第五幕第二場からの言葉だよ。

だがね、デール、僕たちは
めでたい席に招かれた客だよ。

なぜあの男の間違いを
証明しなきゃならんのだ。

証明すれば相手に好かれるかね?
相手のメンツのことも考えてやるべきだよ

ましては相手は君に意見を
求めはしなかっただろう?

君の意見など聞きたくなかったのだ。
議論などする必要がどこにある?

どんな場合にも鋭角は
避けた方がいいんだ』

カーネギーはこの一件を経て
一生忘れられない教訓を得ました。

それは
『議論に負けても
その人の意見は変わらない』
ということです。

つまり議論に勝つ唯一の方法は
『議論をしない』ということなのです。

議論に勝つ唯一の方法

議論に勝つ唯一の方法は
議論を避けることであると
お話してきました。

では、議論を避けるには
具体的にどうしたらいいのでしょうか?

それは、先ほどの例のフランクのように
正しい正しくないにかかわらず、
一度相手の意見を受け入れてしまうことです。

これをあなたとあなたの子供に
例えるとこうなります。

つまり、あなたはあなたから見て
子供が間違ったことを言っていたとしても
それに噛みついてはいけないということです。

先ほどの例でいうと
言葉の出典が聖書だろうが
シェイクスピアであろうが

誰も何も被害を被らないのですから
わざわざそれを指摘して争う必要はないのです。

例えばサンタさんを信じている子供に
『サンタさんはいないんだよ』
知りたくもない真実を突きつけるのは
好ましい好意でしょうか?

世の中にはこれと同じように
『勘違いしていてもさして問題にならないもの』
も往々にして存在しています。

そして喧嘩の大多数は
そんなどうでもいいことから
ヒートアップして発生します。

私達大人は無用な争いを避けるよう
立ち回らなくてはいけません。

そのためには
『これは本当に言わなくてはならない
ことなのだろうか』としっかりと
吟味することが大切です。

まとめ

どうだったでしょうか?

今日は、議論に勝つ唯一の方法は
議論をしないことだというお話をしました。

例え議論に勝ったとしても
相手の意見が変わることはほとんどありません。

あなたがもし今まで
子供との議論が絶えなかったとしたら

今日でその習慣とは
おさらばしてください。

きちんと子供の顔を立てて
話をすることができれば

あなたは子供に対して怒ることも
ぐんと減るでしょうし

子供もあなたに対して
今以上に笑顔を向けてくれるように
なるでしょう。

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『子供との議論に必ず勝ち、納得させるただ1つの方法』へのコメント

  1. 名前:まなか 投稿日:2018/05/24(木) 10:59:17 ID:2d579532b 返信

    生意気をどうかお許しください。

    貴方のブログを読むと、心が締め付けられます。私は、貴方の心の傷がとても大きく深いように感じます。

    表上は【こどものために辛口に助言や警鐘を鳴らしている】のですが、それらは全て貴方自身の【母への恨みや悲しみ、抱き締めてほしかったという願望】に見えます。

    「怒鳴る母」と「怒鳴ってしまう母」の違いが、貴方にはわかりますでしょうか?

    怒鳴ってしまう母は、みんな苦しんでいます。苦しみもがきながら、自分を変えようと必死に行動しています。毎日毎日、待ってくれない家事や仕事をこなしながら、こどもについて一生懸命考えています。休みのない中で愛するこどものことを常に想っています。夜は「私が母親でごめんね」と声を殺して泣いています。明日こそはと泣いています。
    育児だけに集中できるなら、怒鳴るまで追い込まれることは非常に少ないはずです。
    追い込まれた母親を単純に責めるだけではなく、どうか寄り添い解決策を一緒に考えるような記事を書いてあげてほしいです。

    軽い気持ちで自分のために怒鳴る母親は、ブログでわざわざ調べたりしません。

    こどもたちを救ってあげたいという強いお気持ち、優しさと愛情が切ないほど伝わります。でも、それなら尚更

    貴方の知識と愛情で、悩んでいる母親たちの心を救うことが、怒鳴るまで追い込まれる母親たちを減らしこどもを助ける唯一の近道だと思いました。

    • 名前:はせ 投稿日:2018/05/24(木) 11:39:12 ID:fefeb24a5 返信

      >まなかさん

      コメントありがとうございます。

      僕は基本的に、心の奥底では全ての子供の心からの幸せを願っていますので、確かに母親に対して、辛口なブログになっているかも知れないと気付かされました。

      僕としても全ての母親を責め立てたいのではなく、持っている力とリソースを上手く活用することによって、子供と良好な関係を築き、母子共に幸せになってくれたらいいなと思いこのブログを書いています。

      僕がしたいのは、母親を責め立てることではありません。何故ならそれは僕の自己満足で、子供のためにも、母親のためにもならないからです。

      これから、まなかさんの仰られる通り、母親のやる気をもっと引き出せるよう、母親の気持ちに寄り添った記事を書いていこうと思いますので、今後とも応援よろしくお願い致します。

      まなかさんが想像されている通り、僕自身、母とは昔から大きな軋轢を抱えていました。

      母も当時は精神的に追い込まれていて、余裕がなかったことも、心理学を学んだ今となっては十分に理解しているつもりですし、実際に母とそういった話をした時はお互いに心から過去を清算することができましたし、母を恨む気持ちはもうどこにもありません。

      そもそも人間というのは、機嫌がいいとき、自分に余裕があるときは、ほとんど怒鳴ったりなどしない生き物です。

      ただ、精神的に追い込まれていたり、精神に支障をきたしていたりすると周囲に対して、無意識のうちに八つ当たりに近い行動を取ってしまうものです。これは人間である以上僕も含め、ほとんどの人に共通していることでしょう。

      実際、僕の母も、精神的に余裕がなかったこともあり、心の中では十分に僕を愛していたにもかかわらず、怒鳴りつけたり、頬を叩いてきたり、遂には僕が霊に取り憑かれていると思い込んで、霊媒師を呼んだりしていました。

      まなかさんが仰られている通り、怒鳴ってしまう母親にもやむを得ない事情があるのは僕自身理解しているつもりです。

      ですが、それは子供を傷つけていい理由にはならないのも、僕含め、ほとんどの大人は理解しているはずです。

      大人になってみて改めて思ったのは、人生経験を重ねていくことによって、明らかに問題解決力や、自己コントロール力が子供の頃に比べて向上しているということです。

      そして、子供に対して、僕達と同じような自己コントロール力、問題解決能力を求めるのは、あまりにも酷なことであると僕は考えています。

      だからこそ、僕は子供ではなく母親の方が、家族の問題を解決するために頑張ってほしいと思うのです。何故なら母親には本来それができるだけの能力があるからです。

      もちろん、母親とて完璧に自己をコントロールできるわけではありませんが、それをできるようにするお手伝いを、このブログや僕の人生をもって行いたいと思っております。

      稚拙で長い文章になってしまいましたが、これからも応援していただけると幸いです。温かいコメントありがとうございました。